【豊岡駅前小鳥店Ⅲ】アフタートーク公開

【豊岡駅前小鳥店Ⅲ】アフタートーク詳細です。

2016年2月21日に行われた、『豊岡駅前小鳥店Ⅲ』公演でおこなわれた、南河内万歳一座・座長の内藤裕敬さんと中貝宗治豊岡市長のアフタートークを公開!
公演後のアンケートでも多くの反響をいただいたこのアフタートーク。物語の根幹に関わる、キーワード、『ふるさと』について語られています。


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内藤  市長は初演の時にいらしていただいて。Ⅰの時ですね。Ⅰの前に2年間先行事業をしてまして、僕とお芝居を皆さんと勉強するという機会なんですが、その時にオーディションをしまして『豊岡駅前小鳥店Ⅰ』をつくりました。その時はオーディションを見たときに「え、出来るかな」と。大阪でオーディションをやるとそれなりに経験がある人が来るんですよ。それで豊岡でもそれなりに経験があると言っていらしたんですけど、それはあんまり経験があるうちに入らないんじゃないかと。これ大丈夫かなと思いながら頑張って作りまして。だけどその時は30分のお芝居を作って、これ以上はなかなか先へ進めない。今頑張ってもこれぐらいだなと。で、Ⅱになって45分にして。今回1時間弱にして。完結編ということで。だんだんとこうやっぱりうまくなるもんですね。皆さん成長していただきまして、内容も踏み込んで台本もふくらましたことで、当初やろうとしたことが、だいぶ発表できたんじゃないかなという風に思ってるんですけど、市長さんいかがでしょうか。

市長 いや様になってましたよね。よくぞここまで。鞄の社長から聞いた話なんですけど、鞄をミシンで縫う時にかえって癖がない方がいいんですって。

内藤 あーなるほどね。

市長 何も知りませんという人の方が、会社のやり方に合わせることができるということで。そういうことはなかったんですか。

内藤 そうですね。既に間違った演劇の方法というものにやっちゃうと、マイナスからのスタートになっちゃう。やっぱりマイナスをゼロに戻してからのスタートになるんですが。ゼロからのスタートだとあとは足していくだけなんで。良くなる一方なんです。皆さんもこれからでも大丈夫ですよ。

市長 でも普通に楽しかったですね。

内藤 そうですか。

市長 みなさんも豊岡の今の思いだとか、今の状況だとか重ねあわせて拝見されたのではないかと思うんですが、すごく面白かったですね。思ったんですが、みんなが鳥かごを背負って一瞬光が明るくなるとき、背負っているものが翼に見えたんですよ。

内藤 おーなるほど。

市長 すごく象徴的な事だなと思って。非常に印象に残ってるんですよね。意識されたわけではないんですか。

内藤 いや、そんなこと言っていただけるとありがたいですね。だいたい登場人物がこれから将来、ふるさととどういう風な距離で、どういう風につき合っていくか。自分の人生を見つめながら悩んでいるっていう登場人物と、駅前小鳥店でいつのまにか自分のくちばしで自分で扉を開けて出て行っちゃってどこ行ったか分からない小鳥たちをダブらせて。そして久しぶりに帰ってきたハチローっていう人をコウノトリにダブらせて。鳥とこのまちに暮らす人を二重で行ったり来たりしながら綴ってみることによってなにか見えてくるんじゃないか。ふるさとに対する思いが。そう思ってつくったんですけど。DSC_6771

市長 出てる内容っていうのは豊岡なんですけど、他のまちに置き換えて、たとえば鳥を虫でもいいんですけど、その町のシンボルに置き換えるとたぶん同じような演劇というかストーリーが出来ると思うんですけど。

何かみんなふるさとに対する複雑な思いがあったりとか、自分のまちは何もないと思ってたりとか、でもよく考えてみると好きだよなとか、何かそういう関わり方というのは共通するんじゃないかなと思って観てたんですよね。

内藤 こうのとりも結局、一度コウノトリにとっていつか帰って来たいふるさとじゃなくなったわけですよ、豊岡が。けれども、それを復活させようとしてふるさとの方が努力したわけですよ。必死にふるさとが努力していつか帰って来たいここじゃないと。コウノトリにとって。それで努力したらなんとなく帰ってきてくれちゃったわけじゃないですか。それでハチゴローっていうのも飛んできたわけでしょ。そう考えると、人もそうだよね。

市長 だと思います。ちょうど今日本中が地方創生と言っていて、人口減少対策として言っているんですね。

それで何で人口って減るんだろう。例えば豊岡で分析すると理論がものすごいはっきりしてますよ。年齢ごとの豊岡を出て行く人入ってくる人って差し引きすると、ほとんどの年齢区分で豊岡ってイーブンなんですよ。人口減ってないんですよ。1か所、高校を卒業するときにガタンと人がいなくなるんですよ。それで大学を卒業するときに帰ってくる人が、失われた人口の35%しか帰ってこないんです。

内藤 学生として出て行ってUターンするのが3割5分。

市長 ですから夫婦の数が減るわけですね。そして子供の数が減るんで、生まれた子どもが高校卒業するときにガタンと減るという…。それで、出て行くのはやむを得ない。大学がないわけですから。じゃあなぜ帰ってこないのか。それを考えた時に、ザクッと言うと、豊岡は遅れててつまんないと思っている。あるいは経済的に見てもなんか貧しいとか。大企業はないし。そういう非常に強いイメージがあって、そう言われると豊岡の僕たちは反論したくなるんですよね。豊岡は貧しくてつまんないのかって言いたくなるんですよ。実はそのイメージは大人たちにもあって、今日の登場人物も若い人からそうでない人までおられて、同じイメージの中に閉じ込められているわけですね。これをどう打ち破っていくのかっていうのが実は凄い大切なんですね。ひとつはもう一度自分の故郷について考えてみると、あれ、ここって実は結構ステキなんじゃない?ていうことが分かり始めると、あるいはコウノトリが空に帰ってきたところだよねって分かると、イメージが変わっていく。ひとたびここってステキじゃない?って思うと、多分ものの見方がどんどん変わっていくんです。ここはつまらんところだなと思うと、ほんとにつまらないことを証明することばっかり見えてくるし、ステキだなと思うとステキさを証明するところばっかり見えてきて、イメージはものすごく大切ですよね。

内藤 やっぱり、ここにいると分からないことっていっぱいあるんじゃないですか。あのでかいコウノトリが飛んでるのを見るとすごいと思うし、農作物とか食べ物もこちらで食べると大阪で食べるより旨いですよ。魚もすごく良いのが入るじゃないですか。いいところにいるなあと思いますよ。

雇用の問題はあるにせよ、ここで暮らしていけたらここのほうが良いよなと思いますね。

市長 このかごを開けて出て行かなくちゃいけない、このかごっていうのはある意味では豊岡のまちではなくって、みんなが持っている豊岡のイメージ、そのイメージから外に出ていけるって事が実はとても大切じゃないかって今思ったんですけど。

内藤 なるほど。いつか帰ってきたい、こういうすばらしいイメージをもって、出て行くなら出て行ってほしいね。それで故郷の方はいつか帰ってきたいここであろうと、故郷の方も努力しないといけないというところがあるでしょ。僕は子どもの時に東京で育ったんですよ。それでちょうど団地族っていうのが流行ってて、巨大な500棟ぐらいの団地だったんですまわりが。だから、あっちこっちから人が来ていて、子どもがわんさかいたわけ。小学校だから2000人くらい通ってて、みんな団地から来るわけですよ。その連中はやっぱり大学とか卒業して就職すると団地からいなくなって、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんしかいなくなって。現段階では、団地は500棟あって何万人て住んでいたのに、一つの棟に、ほとんど部屋が空いちゃって、ぽつんぽつんしか住んでいなくなっちゃって完全に過疎化しちゃってるんですよ。それで若者はいないし、老朽化もするし、おそらく取り壊しになってそのまま無くなるという流れになっちゃうわけですよ。まあ、そこの連中の意識は「いや、別にここ帰ってくるところじゃないから」ッて思ってて、外に出て行っても故郷だって意識はあんまりないんですよ。帰ってきてそこで暮らして何かいいことあるの?別に無いから帰ってこない。自分の生活をもっと発展させて、なにかもっといいところで一生が過ごせればいいと思ってるんです。だから故郷意識っていうのが基本的にその地域では無い。

出演者に感想を訊くシーンもありました

出演者に感想を訊くシーンもありました

市長 それに似たことを感じたことがあるんです。兵庫県の教育委員会が学校の再編ていうのをやって、但馬はそれまで北但と南但に分かれていたのを一緒にしたんです。南のほうで再編がなされて、僕たちは但馬みたいに広いところを二つに分けちゃいけないと猛反対したんですが、ところが瀬戸内側の京阪神の市長と話していたら、うちの高校は神戸高校と同じ学区になったって言って喜んでるんですよ。神戸高校は進学校なので自分のまちの中学生が神戸高校に入ったら東大に行けるよとかって言って喜んでおられて、すごい違和感を感じたんです。だって神戸の高校に行って東大行って出て行きましたっていう道が開かれて喜んでるまちってどういうことなんだと。自分のまちに残ってこのまちを支えてほしいとか、残らなくてもいいけれど一旦出ても帰ってきてまたこのまちを支える人材になろうとか、この地域のために貢献したいと思ってほしいなと思わないのかなというのがあって、すごいギャップを感じたんです。

内藤 やっぱり上手く言えないけど、ふるさとになるべき資格というのがあって、その資格を持ってないと故郷になり得ないんじゃないですか。つまり巨大団地で育ったなんて言うと、やっぱり故郷には成り得ない。資格を持ってないから。だから逆に子どもの時から早く一生懸命勉強して高校出て行って、ちがう暮らしがしたいとみんな思って、出て行くことが目標になっていて帰ってくることなんてほぼ思ってない。って言うところはふるさとになる資格が無いんですけど、ふるさとになりうる資格がこれとこれとこれだっていうのは、まだ論理的に考えてないけど、その資格を有するかどうかっていうのは地域性にあるんじゃないですかね。

市長 ふるさとっていうのは、「ここが私の故郷だ」って言った時に悪いイメージで言う人はいないですよね。

内藤 そうですね。

市長 だから第2の故郷ですっていうのはすごい褒め言葉ですよね。結局自分がいだかれる場所とか、自分の中にある大切なモノが育った場所みたいなものがあって、そこに対する帰属意識があって、離れていても自分はそことつながっていて、最後はそこでいだかれるみたいな、そういう場所なんだろうと思うんですよね。

内藤 そうですね。今回のお芝居もそうなんだけど1年目からやってきて、下手でしたよ。正直な話。だけどみなさん努力して、頑張ってすごくいいところまできてると思うんですよね。

市長 だってお客さんを笑わせるまでになってましたからね。あの間といい。もちろん作られた方が偉いんですけれども、演じてる側のあの間だとかはかなりきてたと思いますね。

内藤  (笑)結局そうなると、なんかこう頑張ればそこにたどり着けるっていう潜在能力はこの地域にあるっていうことじゃないですか。そのお芝居以外にも色んな潜在能力があって、それをこう掘り起こすとか、それを発見して育むということ、もしくはそれがないんだったら一から育成するということをやっていくことで、いろいろな事が発展すると思うんですよね。そういう意味では、演劇以外でも、ものすごいなにか潜在能力っていうのか、いっぱい潜在しているっていうのが、そういうところがふるさとっていうんじゃないですかね。だから色んな魅力とか、食べ物にしても、伝統にしても、文化にしても、住んでる人にしても、なにかこう潜在能力がいっぱいあって、その魅力がこれとこれとこれだってハッキリ言えなくても、潜在的な魅力はあるよなってたくさん思えるところが故郷と呼べる資格のひとつなんじゃないかなと思うんですけどね。

市長 今のこの作品のテーマに関わることなんですけど、そもそも豊岡の素人の人たちが集まって豊岡出身の人だけじゃないかもしれないですけど、こういう演劇を作っていくことにどういう意味があるのかっていうことについて話したいんですけど。

市長 さっき子どもたちはなぜ帰ってこないのかって言う時に、要するに貧しくてつまらないものだと思っているってさっき言ってましたけど、つまんないということは文化的に貧困だと思っている。例えばAKB48もいないしサザンも来ないし、ポール・マッカトニーも全然無視していったっていう。確かにそれは一面の真実なんですよ。AKB48はいない。だけども別の面白さがあるっていった時に、例えば演劇であるとかっていうのは豊岡でも充分やっていける可能性があると思うんですよね。実際今、小学校と中学校のモデル校で、平田オリザさんにお願いして演劇の授業をやってもらっているんですね。平成29年の4月からすべての小中学校に、プロの人も入っていただいて演劇の授業をやるんですよ。

内藤 すばらしいですね。

市長 自分たちで演劇を作って演じることを通じて表現力を身につけて豊かなコミュニケーション能力につなげていこうという発想なんですけども、この間城崎の小学校でワークショップ直後の子どもたちの作った演劇を観たら大爆笑くらい面白いんですよ。

内藤 へー!

市長 こんな子どもたちがあふれてきて、コンテンポラリーとか芝居とか観て、「今日のはおもしろかったね」なんて言う子どもたちが育ってきたら、本当に片田舎でもすごく面白い。ですから大学を卒業して次どうしようかな、都落ちだなと思っていた人たちが、演劇してる人がいてすごくおもしろいよなっていうことが出来る可能性がある。もちろんそのためには内藤さんのようなプロの人の力が必要で、そのことによって、自分たちが楽しいだけじゃなくて水準をあげていく。そのことがまたみんなの自信につながって豊岡のまちの暮らしって面白いということに繋がる可能性というのを、改めて皆さんを見ていて思いました。

内藤 やっぱり演劇とか芸術っていうのは、観たりするのも、自分で作るのも想像力をたくましく豊かにしないとできない。想像力がちょびっとだけ豊かになるだけでも、まちの景色もいつもは何の気なしに見てるけどはっと気づくとか。例えばいつも家に帰る時に冬枯れの田んぼの畦道を、殺風景だなと思って歩いて帰って帰ってるかもしれない。ところが失恋でもしてですね、夕暮れ時にあぜを歩いて帰ろうと思った時に、その景色っていつもと同じ景色なのに色んな物が胸の中に浮かぶみたいなことがあるわけじゃないですか。想像力が豊かになれば、ちょっとしたことが色んな側面から違う角度から見たりすることができれば、いろんな魅力に気づくっていう可能性がありますよね。

市長 実はもう一つ豊岡では保育園や幼稚園で英語遊び始めてるんです。これも平成29年の4月からすべての保育園、幼稚園、こども園、小学校1年からELTの先生に入ってもらって英語を身につけもらおうと思ってます。もうひとつは学校の現場の中で豊岡をもっとちゃんと教えていこうと思ってます。この3つが出来ると、今豊岡には城崎を中心に世界中から観光客が来てますし、城崎国際アートセンターには世界中からアーティストが来てます。しかも一流のアーティストさんです。ここにも内藤さんみたいな方が来ておられる。

内藤 私は片隅の人ですけれども。

DSC_6772市長 世界中から来る人に対して、豊岡の子どもたちは、豊岡のことを誇りを持って英語というツールを使って、演劇で身につけた豊かなコミュニケーションを取ることが出来る。この子どもたちはいずれまさに鳥カゴから出て行くかも知れないけども、また帰ってきて「ここでいいのだ、豊岡でいいのだ」ここにいて私たちは日本中から世界中からくる人たちと結ばれていくのだdという、そういう誇りとか確信を持った大人が増えてくると豊岡は元気になるんじゃないかと。ですから演劇は今日もちろん演じた方は楽しくてやってるんですけれども、こんなことが豊岡中で起きてきたら豊岡ってすごい素敵だなと思うんですよね。

内藤 そうですね。そういうところからもっとこう膨らんでいくと魅力が見えてくるんでしょうけどね。これから日本は高齢化が進むっていってるじゃないですか。それで介護の問題とかいっぱい出てくるとか。この前総務省の人にお話を聞いたんですけど、看護師さんが不足してくるからフィリピンとかベトナムとか東南アジアから研修生を呼んで外国の人をいっぱい招いてなんとかしていきましょうという方針があるけど、ちょっと待ってくれと。中国を見なさいと。中国はやっぱり15億人からいて戸籍入ってない人も入れると20億近いんですね。それで長きにわたって一人っ子政策をやってたから、若者が少なくて15億のほとんどが上にいるわけですよ。高齢化で人手不足になるっていうのは中国のほうが深刻だからほぼアジアのそういう介護職とかそういう手助けをしてくれる人が全部中国へ行ったら日本に来ないんですよ。そうすると日本では若者が介護の報酬が安いとかいって、すごく意義を感じている人以外は仕事にならないからといって就かないと、だんだんと過疎化しているところに誰も介護にいけなくなってしまう。逆に高齢の方が人口の多い町に越して来てくれないとケアができない。そうすると、村とか町が、おそらく消滅していくっていう時代に入っていくだろうっていう予想ができてると。そういうこと聞くと、いや、守りましょうよ!ていう感じがするんですよ。

市長 今日の演劇をピシっと絞めていたのは、ばぁの役割だとかあったと思うんです。高齢化がどんどん進んでる豊岡のまちのありようとしても、豊岡のあり方を示唆していたと思うんです。最近一億総活躍だとか首相が言い始めてて、菊池桃子さんが嗜んでて、インクルージョン、社会包摂だ、つまり社会から誰も排除しない、みんな仲間に入っておいでよと言って、障害のある人もお年寄りもあるいは浮浪者の人たちも抱え込んでいくようなことしちゃって、株がぼんと上がって

演劇というのが色んな役割の人に作られていて、今日の登場人物を見るとエリートは誰もいないわけですよね。

内藤 そうですね。

市長 だけども、それぞれの役割があってこのまちができてるなってことがとてもシンボリックに教えてるようなきがするんですよね。まさに社会包摂だとか、あるいは芸術だとかそういうことを通じてみんなが社会の一員として認め合っていくなんてことの可能性も今日感じたかなという気がしますね。

内藤 世代間コミュニケーションね。あと職業とか。

市長 だって蜷川さんでしたっけ。お年寄りばっかりの。

内藤 はい。さいたまゴールドシアターっていうのがあるんですよ。平均年齢65歳。70歳代のかたも何人も出てます。

市長 中身の話に入るんですけれども「鳥は大切なものが見えてる」ってところ。あれ、なんですかね。

内藤 なんでしょうね。

市長 作者は本当は語ってはいけないのかもしれませんが。

演出中の内藤さん

演出中の内藤さん

内藤 それはですね、やっぱりふるさとに対して非常にホットな気持ちをもっている人や、どっちかっていうとふるさとに対してクールな気持ちでいるひと、いると思うんですよ。いるんだけど、やっぱりふるさとって考えると「大事なものだ」って思うけど、同時に面倒くさい部分もいっぱいあるよね。感情的な繋がりとか、土着的な意識は面倒くささもはらんでいると思うんですよ。そういう余計なものが散らばっているから、本当に大切なものに焦点を絞って見ることが出来なくなっちゃってるところもあるかもしれないなと。そうすると、鳥が四原色で見ているというのは解剖学者の養老孟司先生がおっしゃっておられたんですが、おそらく鳥は人とは全く違う色彩の中で生きていて、高い所から、遠い所の餌をみつけるというのはものすごく独特の世界の中で生きていると。そうすると見つけられないモノを見つけるわけだから、相当イメージとして、余計ないろいろを見ずに、ピンポイントで大切なものをグッとしっかりみる視力をもっているんじゃないかと。僕らは社会性とか価値観の多様化で余計なものをいっぱい見ちゃってるかもしれないし、そういう余計なものを見てるからこそ中からいろいろな可能性を拾えるのかもしれないし。そういう気はするんですけどね。

市長   僕は、こんなことを思いだしました。豊岡って冒険家の植村直己さんの出身地で、「植村冒険賞」という賞を差し上げてるんです。とんでもないことをやる人たちばかりです。8000メートル級の山って世界に14あるんですがそれを全部登って。ほとんど酸素ボンベを持たずに。大体の人間って8000メートル級のところにいきなり放り出されたら、5分で失神して5分で死んでしまうそうなんです。そんな所に酸素ボンベを持たずに登っていく人がいる。それから、シベリアを自転車でただひたすら走る人だとか。命を落とすってあるわけです。なんでこの人たちはそんなにまでしてとんでもないことをするんだろう、と受賞者に会って話しをするたびに感じるんですけれども、その人たちは自分の命が限られているってことを異常な位わかっているひとなんです。そのたった1回限りの命が漫然と過ぎていくのが許せない、思いっきり自分の命を輝かせたいとみんな思っているわけです。その思いがケタはずれに強いひとたちだという印象をすごく受けるんです。それで、こないだ河合雅雄先生というサル学の世界的権威の方、冒険賞の審査員でもあるんですが、この先生に「人間以外に、自分の命を輝かせたいという思いで命をかけてまで冒険する生き物はいますか」と訊いたんです。そしたら「人間以外に居ませんなあ」とおっしゃるんです。「生存のために冒険することはある。自分の命を活かすために目の前のことにチャレンジしないと生き残れないと、ヒマラヤを越えてくるような鳥はいる。これは生存のためなので…。自分の人生を豊かにしたいと翔んでいくそんな鳥はいない」と。この話をうちの生き物が大好きな若い女性職員に話すと「自分の命を輝かせるために命を懸けるのは訳がわからない。私は生き物として必ず結婚して子どもを産むんだ」だと言って産んでましたけれど。つまり、鳥にとって大切なものとは、価値ではなく生きるために、そこにエサがあるから。多分、そういう単純なことなんですよね。ただとにかく生きる、子孫を残す。そこだけできてるのが鳥の世界で、人間はやたらと考えてますよね。この人生豊かに生きたいとか、あちらに私の夢があるんではないか、とか。まず余分なものが見えてしまう。でも余分なものを見て失敗したり成功したりする人間ってのはすごくいいなぁという気もするんです。

内藤   おっちょこちょいだけどかわいらしいね。いっぱい失敗できるというか。自然界では失敗すると命に係わるけれど、人はいっぱい失敗するというチャンスをもっているからね。その余白があるということが、いろんなものを探せるんじゃないのかなという気がします。今回だって結局は鳥たちは、なんだかんだ言いながら、どう生きるか、自分が生きるってことをどういう風に生命として付き合っていくかっていうことを悩んでこのお芝居はできていますから。

市長   芝居っていうのは、結構ドロドロしたような芝居もあるし、今日の登場人物も明るく元気に溌剌にという役割でもない。

内藤   結構ひねくれてますねみんな。

市長   でも、ベースは人生の肯定っていうのが根底にある気がするんです。それでもなお人生を肯定して生きていく。フラフラしてるひともいるし、グルグルしてるひともいる。だけどそういう人生を肯定して生きていくほかはないというそういうメッセージをいつも演劇見ると感じるんです。DSC_6777

内藤   やっぱり生ものですから。生きている人間が目の前でやってるってのが。これは人は生きてかなきゃいけないんです。生きるっていう方向に向かわないと。死ぬっていう方向に向かって発想することはありえないんです。とりあえずどっちにしたって生きるんだっていうことを前提に前を向かなきゃいけない。そしてその生きているひとたちを客席からモノを演じてる人がお芝居しているっていうこと以外にこの物語を今生きているってことが見えるために演出があるんです。生き物が舞台にいるっていうふうになるのが演劇。水族館とか動物園とかと同じなんです。けれども、水族館の多種多様さ、動物園にも珍獣がいっぱい居て。これとね、役者が肩を並べて勝とうだなんてえらいことですよ。けれども水族館と動物園はお客さんに見せようという気がないんです。そこが僕たちにも勝つチャンスがあるんじゃないかなと。そこを意図的に表現するために修行、練習するのがおしばいなんです。

市長   それは人生もそうかもしれませんね。

内藤   これで1回ね、締めくくりで完結編でこのシリーズ終わるんですが、この流れを止めてしまうのももったいない、というわけではないですが。こちらの市民プラザが色んな演劇企画をやってくれると思うし、中貝市長も応援してくれると思いますので皆さんもどうかこの劇場と演劇をこれからも引き続き応援してください。どうもありがとうございました。

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